高坂 圭
あっ、映画作ろう。 (1)
列車の運転士、本屋の店長、市の嘱託職員、バーデンダーの真似事。我ながらこの一貫性の無さに呆れ返るが、これが僕の仕事歴の一部だ。一部ということは当然他にもあったはずなんだが、どうやって毎日を暮らしていたのか、今ではよく思い出せない。まあ、いずれにしてもその場その場をなんとかしのいできただけで、少なくとも高邁な精神や人生の目的を持って仕事を選んだわけではない。
行き当たりばったり。まさしくこの言葉がぴったりの人生だった。
そう、映画を作ろうと思い立つ前までは……。
この連載は映画制作というとんでもないことに巻き込まれた、いや自ら飛び込んだバカな男の物語である。
なお、この物語はノンフィクションであり、登場する個人名、団体名は全て本当のものです。
きっかけは、小さな新聞記事だった。
『北九州市八幡東区丸山町を舞台に映画制作!』。
男も40歳を過ぎたら就職ないなーと、新聞の求人広告を見ていた僕の目に、こんな見出しが飛び込んできた。
丸山町といえば僕の家のすぐ近所だ。急勾配の坂が続く場所で、お年寄りがたくさん住んでいる。
あんなところを映画に撮るなんてどんな奴なんだろう。と、記事に目をやるとポロシャツにジーンズ姿の男の写真があった。
瀬木直貴。どうやらこの映画の監督らしい。年の頃は30代の半ばぐらいか、写真の印象からすると顔は童顔だ。
僕は気の弱い漫才師のツッコミのように、小さな声でいちいちコメントしながら記事を読みはじめた。
映画のタイトルは「坂の上のマリア」。
?坂の上に住む老女マリアは、坂で転倒して怪我をしたことを契機に、都会の息子宅で同居することに同意する。しかしマリアは、深い葛藤の末、坂の上で住み続けることを決意する。
「なんや、地味な話やなー」。これが紹介されたストーリーを読んだ僕の最初の感想だった。しかし記事を読み続けるうちにだんだんと興味が湧いてきた。
とくに、『老女マリアの心の変遷をリアルに描くため、スタッフは撮影の何日も前から現地に住み込み、また、八幡東区の住民も数多く出演する、フィクションでありながらドキュメンタリーのような迫力をもった「ドキュメンタリーフィクション」という手法を目指している』という記述にはうなった。
ちゃんと仕事をしている人がここにいる。
僕は直感的にそう思った。そしていつしか「この人に会いたい」という気持ちが胸の中で膨れ上がってきた。
それから数日後。僕が八幡東区中央町にある馴染みの酒場で飲んでいると、一組のカップルが入ってきた。
彼らは席につくやいなや、すぐに話し始めた。
「あのシーンのジャケット、もっと違う色ないかな」
「わかりました、明日別の色を2、3色用意します」
男の顔に見覚えがあった。写真で見たあの瀬木監督だ。女性はどうやらスタイリストらしい。
僕は耳をダンボにしながら、彼等の話を聞いた。
2人の間に飛び交う話題は映画はもちろん、文学、音楽と幅広くとても面白いものだった。
僕もその会話に加わりたい。話しかけたい。でも初対面でいったい何といえば。
歯がゆいとはあんな時の気持ちをいうのだろう。僕は話しかけるタイミングを待ちながら、何杯もグラスを重ねた。
1時間、いや、2時間は過ぎていたかもしれない。僕は酔った勢いもあってついに声をかけた。
「ちょっと話してる時に悪いんだけど、あんた坂の上のマリア?」
「ええ、監督の瀬木ですが」
「ああ、やっぱり。あんたと会いたかったんだ、こっち来て飲もう」
いやはや酒というのは恐ろしい。ついさっきまでは話しかけることさえためらっていたくせに、僕から出た言葉は以上のような失礼極まりないものだった。
しかしこの出合いが映画制作のきっかけになったのだから、人生何が起きるかわからない。この続きは次回に。
高坂 圭
あっ、映画作ろう。 (1)
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