後藤文利
第1回
久しぶりにラジオを買った。短波放送が聴け、持ち運び出来る20センチ大のものである。狙いは韓国KBSの日本語放送。昔、「玄界灘に立つ虹」を聴いていた。
やや臭いがしていつの間にか遠ざかっていた。今回韓国の文化や伝統を知る番組を企画するにあたって、本や新聞というメディアの他に音を通して韓国の今の息吹を感じたかったからである。これが以外と面白かった。午後5時、9時、11時、そして朝9時。
午後5時の放送の後は、リピートである。内容は10分間のニュース、そして5分のニュース解説、そして45分の話題。暮れから正月にかけて20,000回特集ということでソウルや東京を結ぶ生放送もあり、放送という内側で生きた人間としては、キャスターや技術の人達の姿が見えるようで「やってる、やってる」という思いで聴いた。
テレビ屋からラジオ屋に転身したような気分である。
ところで、夕方のプログラムは電波の状態が悪く、音が波打つしノイズも入ってくる。夜9時台に入ると電波の状況は良くなるが、ちょっと油断するとノイズに占領されて近くの中国放送と混信してしまう。ダイヤルを少しずつ回しながら音をキープする。
「こんなこと昔あったな。そうだ、はじめてラジオを買って貰った中学生から高校生の頃だった」と懐かしい時代にタイムスリップしてしまった。夜半畳に腹ばってラジオを聴いた。ブラームスの大学祝典序曲で始まる英語講座、数学講座、それが終わると未練たらしくダイヤルを廻した。異国の言葉のあと流麗なメロディが聴けると、その音がずれないようにつまみをしっかり握って聞き惚れた。どこの国だったのか分からないままだったが未知の世界へ導いてくれた。
今回ラジオを聴きながら、はっと思い当たった。あの音楽は韓国の音楽ではなかったか。韓国の歌曲の代表的名作「ポリパ」(麦畑)や、「オモニ」(お母さん)だった。
遠い記憶を探ってみると、少年の日畳の上に置いたラジオに顔を近づけ「ポリパ」を聴いている自分が浮かんでくる。「ポリパ」が抗日運動の時、涙を流しながら歌った唄だとか、植民地のあと南北に別れ、同じ民族が殺しあった母の悲しみなど知らなかった日本の少年が、そのメロディの美しさや胸に沁みてくる哀しさに無意識のうちに惹かれていたのであろうか。
春、韓国にいる日本のハルモニたちから花見の誘いを受けた。
釜山の西、鎮海の桜を見た。街を見下ろす山が桜。そして街中が桜、そしてこの日に合わせて軍港を解放。この港がまた見事な桜であった。復元した昔の亀甲船に桜の花びらが散っていた。サクラは日本のイメージ。オモニやハルモニが桜の下で宴を開いていた。帰りに釜山の街で「韓国の歌曲」というCDを買った。いつあのメロディがラジオから流れるか分からないからである。
後藤文利
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